豚やイノシシにかかる家畜伝染病「豚コレラ」が当初発生地だった岐阜県以外にも飛び火し、5府県に拡大した。1月までは岐阜県内にとどまっていたが、2月に入り愛知県の養豚場にも拡大し、子豚の出荷を通して長野、滋賀の両県と大阪府にも広がっている。
事態を重く見た政府はこれ以上の感染拡大を防ぐため、感染が確認された養豚場で、自衛隊を動員し、約5万頭の豚を殺処分した。さらに、3月からの野生イノシシへのワクチンの投与を決定し、家畜豚へのこれ以上のまん延を防ぐとしている。中国など国外では別のウイルスでワクチンの開発されていない「アフリカ豚コレラ(ASF)」の感染拡大も進んでおり、政府は水際対策を徹底する方針だ。
「飛び火」の原因
豚コレラは、豚の高熱や食欲不振などの症状を引き起こす病気で、感染力が強く致死率も高い(人間には感染しない)。国内では昨年9月、岐阜県で26年ぶりに感染が確認されたことは2月6日の記事「感染拡大か…恐怖の『豚コレラ』が日本全土を襲う危険性」でも報じた。
豚コレラウイルスは、身体接触や排泄物などを介して感染するが、感染が発見された場合、発生農場の豚を全頭殺処分するのが基本対策となる。
豚コレラが愛知県に飛び火したのは2月6日で、豊田市の養豚場で発見された。岐阜県内の感染拡大は野生イノシシによるものだとの分析が有力だが、岐阜県内で感染が確認された養豚場と豊田市の養豚場とは30km以上離れている。
その上、自動車メーカー大手トヨタのお膝元の住宅地にある養豚場での感染だけに、野生イノシシが家畜豚に直接接触したとは考えにくいため、感染ルートの究明が待たれていた。
農水省の専門家による現地調査の結果、豊田市の養豚場に出入りする車両を消毒する際、専用の長靴と作業着に着替える場所が出入り口付近にあり、ウイルスが侵入しやすい環境にあったことがわかった。
同省によると、感染イノシシが発生した地域を通った車が泥や糞に入ったウイルスを運び、養豚場に入った可能性があるという。
岐阜県などこれまで感染が確認された農場でも、出入りする人や車の消毒が不徹底なケースがあったため、同省は必ず専用の長靴を使うなど、衛生管理の徹底を養豚農家に呼び掛けている。
なぜ子豚の出荷が行われたのか?
豊田市の養豚場をめぐっては、感染拡大の原因となった「子豚の出荷」に対する。愛知県の対応について批判が上がった。
豊田市の養豚場は、2月4日時点で「食欲不振などの症状が出た」と県に連絡していた。しかし県は、「豚コレラの典型症状がない」との理由で別の疾患を疑い、遺伝子検査などを翌日5日に後回しにした。そして県が出荷自粛を求めなかったため、養豚場は豚を長野県に出荷した。
国の防疫指針では、通常以上の頻度で症状が出た場合、すぐに都道府県が生産者に出荷自粛を求めるとしている。長野県側は愛知県に抗議したが、愛知県の大村秀章知事は「体調に異変のある豚は出荷していない」と反論。「感染が疑わしい段階での出荷自粛は難しい」とする同県の対応への検証が求められる状況になった。
断末魔の叫びを聞き続け…
さらに、殺処分の応援にかり出された自衛隊員のメンタルケアも課題となっている。
感染が確認された5府県のうち、自治体のみでは対応できないと判断した愛知、岐阜、長野の3県は自衛隊に応援を要請した。3000人を超える隊員が駆けつけたが、慣れない任務に苦しむ隊員も少なくなかった。
「自衛隊の活動内容は豚舎内での豚の追い込み、殺処分した豚の埋却地への運搬と処理、養豚場の消毒支援です。このうち豚の追い込みは、獣医師が薬品の注射や電気ショックで豚を殺すときに押さえる役目。断末魔の叫びを聞き続けた隊員の中には、メンタルに変調をきたす人もいたようです」(農水省関係者)
自衛隊は東日本大震災の対応に当たった際には、多数の遺体を収容した隊員のメンタルケアとして、一日の活動を終えた後で、隊員同士で苦しみを共有する時間を設けた。今回も同様の時間をとり、カウンセリングの専門家による治療体制も整えて活動にあたった。
豚にワクチン接種できない事情
農水省は3月から、野生イノシシに対するワクチン接種を実施することを決めた。ワクチン入りのエサを食べさせて体内に抗体を作り、イノシシを介した感染経路の封じ込めを図る。イノシシに限らず野生動物にワクチンを接種するのは国内で初めての試みとなる。
愛知県からの感染豚が同県内に出荷された事例を除けば、2月19日に岐阜県で約3週間ぶりの発生が確認されたことから、野生イノシシが感染源となっている可能性を考慮し判断した。
一方で、野生イノシシではなく家畜豚へのワクチン接種については、農水省は慎重な姿勢を取っており、まだ実施されていない。
仮にワクチンを接種すれば、日本は国際ルールが定める「清浄国」でなくなり、多くの国が日本からの豚肉輸入を制限するのは避けられない。農水省関係者は「取引は二国間で決めるため、全く輸出がなくなるというわけではないが、輸出できる自治体が限定されたり、国全体でも一定期間輸出できなくなる可能性が出てくる」と警戒する。
豚コレラのワクチンは、過去には全国で接種され感染予防に貢献していた時代もあったが、ワクチンの費用や手間など養豚農家の負担が大きいため、1996年から11年かけてワクチンに頼らず「清浄国」としての地位を勝ち取った経緯がある。
養豚業界に詳しい農林族の自民議員は「ここまで苦労して獲得したものを軽率な判断で手放すのは、業界の衰退にもつながる。接種をしない前提で対策を考えるしかない」と話し、吉川貴盛農水相も「ワクチンは最終手段」と消極的な考えを示している。
しかしながら、発生地周辺の養豚農家からはワクチン接種を望む声が根強い。
愛知県と隣接する静岡県の養豚協会は、2月15日に吉川農水相に対して、ワクチン接種の実施を要請した。
同協会の中嶋克巳会長は「愛知県内の養豚農家と同じ飼料会社と取引のある静岡県の業者も多く、明日は我が身だ。殺処分ともなれば農家は再起不能になる。補償金をもらっても穴埋め仕切れない。ワクチンは最後の手段だというが、今こそ最後の場面だ」と訴える。
豚コレラは3月に入ってから7日に11例目が発生したものの、新たな自治体に飛び火したわけではない。このまま岐阜県などで封じ込められればワクチン接種の必要はなくなる。
先の自民議員は「感染が確認されたのが、岐阜や愛知など主要な養豚県でないのが不幸中の幸いだ。殺処分の頭数も全国の家畜豚の約0.2%にとどまっており、目立った影響はない。ただ、もし鹿児島や宮崎などの主要自治体に感染が飛び火すれば、豚価の高騰にもつながる非常事態にもなる。そうなれば、ワクチン接種も選択肢として出てこざるを得ない」と話す。
より恐ろしい「アフリカ豚コレラ」とは何か
一方、アジアではアフリカ豚コレラ(ASF)の感染が拡大している。昨年夏から確認されていた中国とモンゴルだけでなく、今年2月にはベトナムでも感染が確認された。
ASFの殺傷力は極めて高く、感染した豚の致死率はほぼ100%。日本国内に持ち込まれた場合、ワクチンがないため、殺処分による対処しかできない。ウイルスの環境耐性も高く、感染した豚やイノシシの排泄物の中で約1年半と長期間生存できる。
ASFは観光客の手荷物として持ち込まれる非加熱のソーセージなど、豚肉の加工品から侵入するため、水際で食い止めるのが最善策となる。農水省は昨年8月から空港や港の防疫体制を強化しており、今年3月8日までの時点で、15件没収した。
これらの食品は、ベトナムからの1件を除き、全て上海など中国発の便から持ち込まれており、同省は2月前半の春節期間中は特に警戒を強めていた。現在のところ、日本国内では感染は確認されていない。
農水省関係者は「正直、完全にウイルスの侵入を止められているかと言われれば、100%そうだとは言い切れないのが怖いところです。全ての乗客の手荷物を詳しく見ることは、空港や港の業務キャパの面から言って事実上不可能ですし、プライバシー保護の観点からも問題視されかねません。探知犬などで最大限に対応するしかやりようがないのが実情です」と頭を抱える。
また、先の自民党議員は「豚コレラで家畜豚へのワクチン接種に慎重なのは、ASF対策も考えてのことです。『ワクチンを接種したから安心』という考えに養豚家が染まってしまったら、防疫対策が確実に甘くなる。ワクチンに頼らないというのはそういうメリットもあります。ただ、ASFは豚コレラとは全くレベルが違う脅威になりますから、確実に止めないと危ないですね」と警戒感を隠さない。
台湾モデル参考にすべきか?
与野党では、ASF対策について、台湾を参考にしようとする議論が盛り上がっている。
台湾ではASF侵入を防ぐ対策として、今年1月からASFの中国などの感染地域から豚肉製品を持ち込んだ時点で台湾人、外国人のどちらにも初回20万台湾ドル(約72万円)の罰金を科している。その場で支払わなかった場合は入国拒否し、罰金の支払いが完了しないかぎり、最長5年は入国を拒否し続けるという厳しい制度を採用している。
台湾政府は、昨年に中国でASFが発生して以来、情報提供を中国政府に求め続けていた。しかし回答が得られなかったため、蔡英文総統は元日の新年談話で「この防疫で協力できないなら、何が『中台は一つの家族』なのか」と非難した。2月2日になってようやく回答が届いたが、感染規模は台湾側の推定値をはるかに下回っており、実態を正確に反映しているか疑われたという。
台湾では1997年に口蹄疫が発生した際、家畜豚を大量に殺処分した経緯があり、蔡総統は「魯肉飯(ルーローハン)を守ろう」というスローガンを掲げて国民に呼び掛けている。
蘇貞昌行政院長(首相相当)も2月4日、自らのフェイスブックでアフリカ豚コレラについての動画を公開し、中国政府に「防疫の強化と感染状況の情報提供」を求めた。さらに、蘇氏は「中国の習近平国家主席と似ている」として風刺に使われているディズニーキャラクターの「くまのプーさん」のぬいぐるみを手にしながら、「隣人は助け合うべきで、傷つけ合うべきではない」と訴え、中国への不信感もにじませた。
台湾では中国福建省の対岸にある金門島に、ASFに感染した豚の死体が漂着する事態が発生しており、台湾側は中国側から流れ着いたとみて不満を募らせている。一方の中国は「(台湾が)ASFを政治利用している」と反発し、対立を引き起こしている。
日本では自民党の会合において、「抑止力がなければ(海外の人は)いくらでも持ち込んでくる」など豚加工品持ち込みの厳罰化を求める声が高まっており、国民民主党でも台湾の制度を踏まえて議員立法を目指す動きが出ている。
ただ、台湾レベルの厳罰化を行えば、インバウンド観光への影響は必至だ。
防疫体制に詳しい農水省関係者は「政府は2020年までに4000万人の訪日外国人客の達成を目標にしていますが、その多くが中国人です。台湾と中国との歴史的な関係を無視して、台湾のような制度をそのまま日本が適用すれば、反日ナショナリズムをあおりかねない。現実的には罰金上限を現在の100万円から引き上げるくらいで、防疫対策を強化するしかありません」と頭を抱える。
豚コレラへの対応は長期化の様相を呈しており、終息への道は見えない。養豚農家の地道な衛生管理への努力や、野生イノシシのワクチン接種の効果が期待される。政府はASFについても防疫対策の強化を引き続き進めていく方針だ。
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